【巻き込まれない力】他人の力をアテにする自己主張の強いリーダーの養分にならないで!

内向型にとって苦痛な「他者との関わりを是とする教育」

友だちをたくさんつくろう。

私たちは幼少期から、この言葉を聖典のごとく教え込まれる。そして、物心つかない子どもの頃から、友だちはたくさんいた方が良いことだと誰もが疑いもなく信じるようになる。友だちが少ないと白い目で見られ、自分が変わり者だから友だちが出来ないんじゃないかと劣等感を感じるようになる。そして、友だちの少ない我が子を親までもが心配する。

リーダーシップを発揮しよう。

やがて私たちは社会に出ると、この言葉を目標の一つとして教育される。ビジョンを示して他者を巻き込み、ゴールに向けて皆を先導する、これが社会人の理想の姿だと教わる。他者とのコミュニケーションが苦手だと出世はできず、周りからもダメな人だとレッテルを貼られる。

こうした言葉たちは、いずれも他者との関わりを持つことを「是」としている。自分から他者に働きかけることが推奨され、逆に、他者との関わりに積極的でない態度は「消極的」か「自己中心的」と思われる。

しかし、本来、人間の性格は多様である。他者と関わりを持ちたい性格の人もいれば、一人でいたい人もいる。一人でいたい人というのは、ユング心理学やMBTIでの「内向型」の性格をもった人(内向型とは、いわゆる内向的な人ということではなく、その人の心のエネルギーが向く方向が他者ではなく自分であるという人である)である。この「内向型」は程度の差こそあれ、世の中の半数の人が該当する。

「内向型」にとっては、こういう教育は苦痛でしかない。もちろん生きていくためにはある程度は他者と関わることは必要であるが、性格がそっちに向いていないのだから、苦手なことを推奨されて気の毒というしかない。

他者との関わりを推奨するのは、権力者にとって都合がよいから

他者と関わることの重要性は、長い人類の歴史の中でも示されてきた。ユヴァル・ノア・ハラリ著のベストセラー『サピエンス全史』に記された認知革命に示されているとおり、集団で行動することは外的から身を守るうえで人間にとって本質的に必要なことだからだろう。

ホモサピエンスが持っていた虚構、すなわち架空の事物について語る能力は、個人ごとに物事を想像するだけではなく、集団で同じ虚構を共有することを可能にした。それによりホモサピエンスは、ネアンデルタール人がいかに体格・脳の容量で勝っていたとしても、集団としての組織力でこの地球を支配するに至った。

『サピエンス全史』より筆者記載

農業革命が起きて以降も現代に至るまで、人はお互いに「他者との関わりを推奨する」ことで、社会の枠組みの中に全員が収まるように制御し、社会を安定させてきた。そうした中で、子どもたちにも集団教育が施されて「友だちをたくさんつくる」ように指導されてきた。

そしてその価値観は20世紀にまで続き、地域や会社のコミュニティという形で行われてきた。近所の人や会社の同僚とは一生の付き合いを前提とし、村八分にならないように、地域のイベントがあれば顔を出し、土日のゴルフにも参加するといった具合だ。このように「他者との関わりを推奨する」という価値観は、社会基盤を安定させるうえで都合がよいのである。つまり、社会基盤を管理する権力者にとって都合がよく、彼らはいつだって「外向型」であったのだ。

従来の社会基盤は失われつつあり、個人主義的な時代がきている

だが、インターネットが普及してからは、少しずつ様相が変わってきた。グローバル化が進むと同時に、情報の非対称性が無くなり、雇用の流動性も急速に高まった。核家族化が進み、地域のコミュニティもほとんどなくなった。時代は急激に変わっているのである。

つまり、ここにきて社会基盤に変化が訪れているということだ。所属する地域や会社の権力者による強制力が弱まっており、支配による社会の安定性も失われてきている。また、そこに所属するだけで得られたアイデンティティや自己肯定感が得づらくなっており、外向型で感情型の人を中心に承認欲求に苛まれる人も増えている。

逆に、地域や会社によって縛られることもなく、その中で従順な仮面を付ける必要もなくなってきた。むしろ、自らの力で自己肯定感を得られるように、自分の人生プランを自分で組み立てる力が必要になってきている。まさに、正真正銘の個人主義的な時代になってきている。

新しい時代の標語は、本当の親友を見つけよう、人と違う個性を磨こう

もしそうならば、「友だちをたくさんつくろう」といった標語も、今の時代に合わせてそろそろ変えていいんじゃないだろうか。現代を反映するならば、友だちは数ではなく質だ。社会だけでなく、転職や海外居住などで身の周りの環境が変わりやすい現代の人々には、現れては消える無数の友人ではなく、長きにわたって友情を保つことができる真の友が必要である。「本当の親友を見つけよう」のほうが今の時代にあっている気がする。

「リーダーシップを発揮しよう」についても、今の時代だと違和感がある。リーダーシップを発揮しようという裏側には、そのリーダーに巻き込まれて没個性となる無数の人々の存在が無視されている。今はSNSなどで個々人が表現できるプラットフォームが存在し、旧来のようにマスコミが世の中の価値観を支配する時代ではない。そうならば「他者に巻き込まれないで自分の人生を生きる力」のほうが重要である。他人の力をアテにしている自己主張の強いリーダーのもとで養分になってはいけない。私なら「人と違う個性を磨こう」を新しい標語に据えたい。

個性を磨くには、他者からの承認によって自己肯定感を持つのではなく、自らの価値観に気づき、自己承認を得ていくことである。私は、本来の日本人は個性を磨く素質があると思っている。それは仏教の性質が関係する。

西洋のキリスト教は外向型、東洋の仏教は内向型の価値観といえる。キリスト教は基本的に外にエネルギーを発信しているので、宣教師が外国にもキリストの教えを広めてきた。逆に仏教は、内にエネルギーを発信しているので、悟りなどの自己修練の気質が特徴的である。

内側にエネルギーを向けるということは、自分を見つめるということであり、それは他者を基準に物事を考える外向気質とは異なって、自分が本当にやりたいことを見つけることに向いている。つまり、仏教を土台にした日本は本来、人と違う個性を磨く素質が高いはずである。

マンガなどは日本人の高い個性における代表格ではないだろうか。この素質が支配機構によって同調圧力から抑圧されているのはもったいない話だ。良い時代に生まれたのだから、私たちはもっと「自分がかっこいいと思う生き方」をすれば良いのである。そうすれば今の時代にあった個性を手にできる。