嘘つきに騙されないためには、相手の言葉ではなく行動をよく見たほうがいい

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口ばかりで行動しない人たち

口ではやると言っているのに、全く行動しない人というのがいる。口では、とても耳触りのよい言葉を言ってくれるので、それを信じて待っていると、なかなか行動してくれない。おかしいなと思って問いただすと、色々と言い訳を言われるので、さらにそれも信じて待っていても、なかなか行動してくれない。でも、口は上手いから、騙されて信じ続けてしまう。

こういうのを言葉の空手形というが、言葉が売り物である水商売では日常茶飯事であるものの、実はそれに限らずどこでも見られることである。もちろん、口約束を守れなかったということは誰にでも身に覚えのあることだ。しかし、それを頻繁に繰り返しているのに、全く知らん顔ができる人には近づきたくない。

平気で嘘をつき続けられる人の中にも種類があると思ってる。まず、一般的にサイコパスと言われる人だ。彼らは、自分の利益だけを考えて、他人の感情を無視した行動が取れる人々である。しかし、こういう人々は、実は割と見分けがつきやすい。人の感情を明らかに無視しているので、ふつうの人に簡単に違和感を持たれてしまうのだ。

逆に、たちが悪いのは、明確に約束しないものの、それを匂わせたまま、全く違う行動を取る人々である。彼らは、ふつうの人の感情を理解している。そして、相手をうまく自分の思い通りにするために、その感情に配慮しながら、最初から約束を守れないと分かっていながら、明確には白黒つけずに曖昧にしたまま、期待をさせる。後で問いただされたときには、自分は約束などしていないと言う人々だ。こういう人たちは実は無数にいる。

言葉ではなく行動から判断すべし

では、どのようにすれば、そういう人々の本当の心が見抜けるだろうか。その答えは「他人の本心を見抜くには、その人の言葉ではなく、その人の行動から判断する」ということだ。

近代哲学の祖であり「疑いは知のはじまりである」「我思う、ゆえに我あり」で有名なデカルトは、この点について、以下のような名言を残している。

実際に人々が何を考えているのかを理解するには、彼らの言葉ではなく、行動に注意を払えばよい。

また、アメリカの古い諺にも以下のようなものがある。

Actions speak louder than words."(行動は言葉よりも雄弁)

これらはいずれも、人の本心というものは、言葉からは読み取れず、行動のみに現れるということを示している。この他にも「百の言葉より一つの行動」という格言もある。どんなに良いことを言っていても、たった一つの行動で信用が落ちるといった意味で、行動の重要性を表しているわけだ。言葉というのは、いくらでも取り繕うことができるのである。言葉ひとつで人の感情は左右されるが、言葉には情報が入っているのみで、実態として結果は伴わない。

それでは、例を見てみよう。A君がB君からパーティに誘われたとする。A君は「分かった。明日行くよ」といっても、明日のパーティにA君が到着する保証はない。また、A君がC子さんに告白をして、A君が「ずっと大切にします」とC子さんに言ったとしよう。でも、将来にわたってずっとA君がC子さんを大切にするという保証はない。A君の言葉の中に意思や気持ちが込められているように感じるが、実際は何の保証もない。このA君の意思や気持ちが本物であったかは、明日のパーティにA君が来たか、数年後にA君がC子さんを大切にしていたかといったA君の行動からしか分からない。

つまらないことでセコい人間も信用ならないという実験結果がある。15,000人を対象とした心理学の実験によると、人が持つ性格要素のうち、嘘つきと最も相関関係が高かったのは自己中心性だったそうだ。一見良い人そうなんだけど、ちょっとしたくだらないことで自分が得するように動くタイプ、たとえば、割り勘などのちょっとしたことでもズルをしようとする人は危険だ。

人は言葉に酔い、夢を見たがる

こんなことを書きながら、なぜ水商売が存在するのかを考える。結局、人は言葉がほしいのだろうか。結果など伴わなくても、夢を見ていたいだけなのだろうか。

歴史においても、結果的に嘘を言っていたリーダーが民衆を熱狂させるということはある。民衆は感情で動いており、リーダーの言ったことの事実を確認したり、結果を踏まえて検証するといった科学的な行動はとらない。

リーダーというか、扇動者というものは、民衆を動かすためには事実や結果などどうでもいいことを知っている。ただ、酔いしれる言葉があれば良いのだ。それを唱え続ければやがて嘘でも事実のように見えるようになる。

もし、リーダーとして人の前に立ちたい一心で、一定の人々が酔いしれる言葉を唱える人がいたら、そういうことだと思って見てみるといい。人は、何かしら、信じるものが欲しいのである。