【書評】(新訳)老子(岬龍一郎著)【道(タオ)とは何か、自然のままにあるがままに】

老子

中国の諸子百家における二大巨頭の一人、孔子と並び称される老子について、今日は語りたいと思います。

老子か~

なんだか難しそうだなぁ~

老子は「柔よく剛を制す」「千里の道も一歩から」「大器晩成」「足るを知る」など、ふだんから馴染みの深い慣用句の生みの親でもあるんですよ。

よく、意気揚々のときに学びたい孔子、意気消沈のときに学びたい老子と言われ、ストレスで疲れてしまった現代社会の人にとっては、老子の考え方はフィットしやすいと思います。

今日は、そんな老子の教えについて、一緒に学んでいきましょう。

リーダー論の孔子と幸福論の老子

孔子は父のような厳しさがありますが、老子には母のような優しさがあります。

以前、孔子についてはこちらの記事に書きました。

孔子の思想は「人徳によって世を統治する」というどちらかといえば「規律」「仁愛」といった堅めのワードが並ぶリーダー論です。

孔子の言葉として、以下がそれをよく表していると思います。

義を見てせざるは勇無きなり(人としてなすべきことと知りながら、それを行わないのは、勇気がないためである)

孔子

それに比べて、老子の教えは「今に満足して人生を楽しむ」という「あるがまま」「自然」といった柔らめのワードが並ぶ幸福論です。

老子の言葉には、今生きることにフォーカスした言葉が多いです。

もし落胆しているなら、 きみは過去に生きている。 もし不安ならば、 きみは未来に生きている。 もし平穏ならば、 きみは今を生きている。

老子

立身栄達を望み多くの弟子を持った孔子、俗の栄華にはあえて近づかなかった老子、そうしたことからも、老子の縛られない自由な生き方が見えてきます。

老子の教え(ざっくりといえば)

老子の教えは、ざっくりといえば、控えめにして、自然にあるがままでいればよい、無理をして頑張る必要はないというものです。

逆に、自然のなりゆきに任せずに、何かを作為的にやってしまうと、自由でなくなり、物事がこじれ、争いが生まれてしまうからよろしくないと老子はいいます。老子は、むしろ儒教的道徳観念には否定的です。

老子の大切にしている3つの宝として「慈(いつくしむこと)」「倹(つつましくすること)」「人の先に立たないこと」が挙げられます。慈しみの心を持つことで本当の勇気を抱き、つつましい心を持つことで広く施すことができ、俺が俺がと人の先に立とうとしないことで器量のある人になれるといいます。

老子は、水のようになろうともいいます。水は、誰しもに恵みを与え、柔らかくしなやかで自由自在でありながら、その一方で堅い岩さえ打ち砕くものだからです。

人から畏れられるのではなく、人から愛されることを望む、水のようにゆったりと、やわらかく、謙虚で、母のような優しさを持つもの、それが老子の哲学です。

老子の道(タオ)はなかなか難解だが

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老子の教えの根幹にある道(タオ)をご説明します。この道(タオ)というのは、上記で示した老子の教えが、なぜそうなのかを説明する部分です。ですが、この道(タオ)、正直言ってボンヤリしていて分かりづらいです。できるだけかみ砕いてご説明します。

道(タオ)とは、宇宙のような人智を超えたものであり、言葉で説明することができない、無欲でなければ知ることができないものです。

人は、何にでも名前を付けようとします。名前を付けると差が生じ、差が生じると欲が生まれ、欲が生まれると争いが起こるのだと老子はいいます。難しい言葉でいうと、論理学上の二項対立を完全に否定しています。そうした名前や区別など存在しない宇宙の根源的なものを道(タオ)と呼びます。

老子は、文明批評と捉えることもできますが、結局のところ、人間が作った文明や文化というものは、いつしか滅びて崩れ去り、道(タオ)の混沌の中に還っていくと説いています。つまり、そうした作為的な行動に意味などなく、むしろ無為(なすがまま)の精神で行動するほうが、人から愛され、足るを知ることができ、幸せなのだといいます。

老子の教えが現代にマッチする理由(ミニマリズム)

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孔子の儒教は武士道に通じますが、老子の道教は禅に通じます。

最近、瞑想や座禅でひたすら自分に向き合って落ち着きを得ていく「禅」は、取り上げられることが多いですね。

禅は、仏教ではあるものの宗教的な色合いは少なく、瞑想や座禅といった仕組みにとことんフォーカスしていることが、現代のストレス社会に生きる人々に受け入れられやすいのだと思います。

そして、禅は道教、つまりは老子の教えがルーツにあり、老子の教えも禅もどちらもミニマリズムの雰囲気が漂います。ミニマリズムについては、こちらの記事に書いています。

たとえば、老子は、余計な欲であったり、知識だったりというのは、争いをもたらすものであるため、捨てるように言います。このあたりも、ミニマリストたちには受け入れやすい思想ですね。

老子は、無気力な敗北主義と捉えてしまう人がいますが、そうではなく、むしろ競争すること自体が負けだといっています。競争している時点で命を削っていて本末転倒だということですね。

ちなみにこれって誰かの考え方に似ていませんか、そうです、こちらの記事で書いたピーター・ティールですね。老子の教えというのは、現代のいたるところに根付いているのだと思います。

老子はいくつかの書籍を読みましたが、初心者でも読みやすいのはこちらですね。是非、老子を知らなかったという人は読んでみると面白いと思いますよ。