【書評】The Book of Tea(茶の本)~岡倉天心~【西洋に示した東洋・日本の思想と文化】

今日は、美術の神様、岡倉天心が書いた『the Book of Tea(茶の本)』を紹介します。

岡倉天心は、日本の近代美術に大きな影響を与えた偉人ですね。

名前は聞いたことあるけど、どんなことをやった人?

東京藝術大学の前身である東京美術学校の創設や、ボストン美術館で美術部長などに就任した人です。

岡倉天心が生きた明治は、文明開化によって急激な西洋文化が日本に入り込んできた時代でした。

当時、西洋からは、日本は文明後進国と見られ、日本においても街中に西洋かぶれの日本人が溢れかえる状況だったのです。

そうした中、日本の伝統美術の優れた価値を西洋に認めさせ、近代日本美術の発展に大きな功績を残したのが岡倉天心です。

この『茶の本』は、茶道に携わる人だけでなく、日本に古くから息づく侘び寂びの精神を感じたい人にはオススメの本です。

では、いきましょう!

茶の本が書かれた時代背景

この本は、もともと英語で書かれたものです。

岡倉天心は西洋の人々向けに、東洋や日本の美術・文化の良さを一生懸命に伝える活動をしてきた人でした。当時、日本の茶について英語でまとめられた書物などひとつもなかったため、天心はこの本を英語で執筆したのです。

そして『茶の本』によって、はじめてまともに日本の「茶の湯」の文化が西洋に知られることとなったのです。

そもそも西洋でのお茶は、1609年にオランダへ日本の茶が輸出されたことがはじまりです。西洋で初めて飲まれたお茶は、中国の茶ではなく、日本の緑茶だったのですね。

その後、次第にイギリスを中心にお茶は西欧に浸透していき、18世紀半ばにはアフターヌーン・ティーの習慣ができたといいます。その頃、西欧では緑茶よりも紅茶がメインとなってくるわけです。やはり西洋では緑茶ではなく紅茶を飲んでいるイメージですよね。

そこから、中国貿易を独占していたイギリス東インド会社によって、中国産のお茶がひろまっていった時代に、この『茶の本』は書かれたのです。

日本の茶の湯は禅から発展した侘び寂びの文化

日本における茶は、奈良時代に中国から伝来しました。その後、喫茶の習慣は一度廃れてしまいますが、中国が宋の時代に、中国で禅を学んだ栄西禅師によってふたたびお茶を飲む習慣が日本へもたらされたといいます。

しかし、中国では北方から元(チンギス・ハーン)に襲来され、南宋に根付いていた茶の文化が次第に絶たれてしまうのです。一方、日本では宋の茶の文化がそのまま残り、その後に独特の進化を遂げていきます。

日本では戦国時代に入り、千利休がわび茶として独自の様式美を完成させます。その後、現代にいたるまで茶の湯は茶道として親しまれてきました。

わび茶の世界では、厳かな茶室の中で、主人が客人をもてなすために一杯の茶を淹れます。そこには身分の違いなどなく、人として両人が向き合います。掛け軸と一輪の花のみがある簡素で小さい空間の中で、真のもてなしを楽しむのが日本の茶の湯です。

西洋ではただの飲み物の一つとして親しまれている茶ですが、日本では禅(さらには道教)の流れを汲んで侘び寂びという独特の様式美と融合し、ただの飲み物としてだけではなく「茶の湯」という文化になったのです。

茶道の要義は不完全なものを崇拝するにある

この「茶の湯」の文化は、西洋にはない独特のものです。

そもそも西洋の美意識は、色々な装飾を施して豪華絢爛であることを良しとします。西洋の建築物や絵画を鑑賞すると、その複雑な構造であったり、入念に装飾が施された美しさを感じると思います。

一方で、侘び寂びという日本の美意識は、簡素や古びたものの中に美しさを見出します。岡倉天心によると、それは「隠しながらほのめかす術」だといいます。

茶の湯というのは禅の儀式が発達したものであるため、天心がいうところの「茶道の要義は不完全なものを崇拝するにある」となります。

西洋のように完璧に装飾が施された美ではなく、日本の美意識というのは無常で不完全な世界を愛おしく思う心であるということです。

西洋は何かを付け足していく足し算の価値観、日本は余計なものを削っていく引き算の価値観です。日本人にとって、おびただしい数の装飾品で飾られた西洋の美意識は、いたずらに富を誇示した感じさえ与えるのです。

物質主義の西洋は、簡素の中に美を見いだす東洋・日本から学んだほうがよい

岡倉天心はこの本で「西洋は東洋から学ぼうとしない。キリスト教の宣教師を与えるために行き、受けようとはしない。」と言い放ちます。

たしかに、当時の西洋人は、アジアを植民地の1つとしてしか捉えておらず、そこの文化を学ぼうといった姿勢はありませんでした。

しかし、本来であれば、豪華絢爛を良しとする西洋の美と、簡素で最小主義的な侘び寂びの東洋の美では、全く異なるものです。

物質主義が蔓延している西洋においては、茶の湯に代表されるような簡素の中に美を見いだす東洋・日本の考え方は、非常に参考になるはずです。

茶道は不完全崇拝であり、故意に何かを作り込むのではなく、人の想像に任せる粋なところも魅力です。たとえば、茶を飲む場所である数寄屋という単語はもともと空き家の意味で、何も作り込まれていない空間を表しています。

待合から茶室に通ずる露地についても、露地の石は形が不均一となっており歩く人の想像を膨らませる仕掛けになっています。岡倉天心がいうとおり「茶室と言うのは、煩わしい外界から隔たれた聖堂」なのです。

日本の茶の湯というのは、禅がベースとなっており、ミニマリズムの精神があります。現代の行き過ぎた資本主義においては、豪華絢爛の美的感覚ではなく、古びたもの、簡素なものを愛でる侘び寂びの価値観が必要なのではないでしょうか。

この点については、ミニマリズムについて語ったこちらの記事にも書いています。

いまこそ日本人は、岡倉天心の『茶の本』で、もう一度自分たちの美意識を感じてもよいのではないでしょうか。