今日は、第二次世界大戦において、なぜ日本が負けたのかという点を、戦時中の作戦や行動からまとめ上げた名著「失敗の本質」を取り上げたいと思います。
この本は戦争の暗い話ではありません。第二次世界大戦における日本軍の組織的な合意形成や行動から敗因を論理的に考察し、日本特有の文化に紐づく問題点を教えてくれる本なのです。
しかし、学術的な本なので、内容が詳細である上、色々な登場人物や隊名や地名が出てくるので、ふつうの人にとっては読み進めるのは辛いかもしれません。
そこで今回、この記事でその内容を要約して、多くの人に紹介したいと思います。
この本は特に日本人にとって示唆の多い本ですので、せめて、この記事は最後まで読んで欲しいと思います。
この本の全体像
この本では、そもそも、日本は第二次世界大戦において勝ち目がなかったという立場を取っています。その上で、多くの作戦を詳細に見ていくと、もっとマシな戦い方があったのではないかという点から詳細な分析が行われています。
そして、無条件降伏という圧倒的な敗北に至った原因を探る中で、第二次世界大戦中の多くの戦いのうち、勝敗を決する大きなターニングポイントとなった6つの戦いを選び出し、その作戦に至る背景や戦いにおける行動から、敗因に結びついていった要素を洗い出していきます。
情緒的や観念的なところには一切おもねることはせず、ただ、そこにあった事実に目を向けて失敗の本質的要因を突き止めているのです。
分析対象とされた6つの戦い:ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ沖海戦、沖縄戦
第一章では、これらの6つの戦いにおける詳細な経緯と分析が示されています。
重要なのはこの後の第二章ですが、第一章をしっかり読んでおけば、第二章の内容がスッと頭に入ってくるでしょう。軽く読み飛ばしながらでもいいかもしれませんが、アナリシスという項目については、負けた原因が書かれていますので、よく読んでおいた方がいいと思います。
そして、第二章では、日本軍とアメリカ軍を比較する形で、作戦の立案と合意形成、リーダーシップ、人材活用と教育、資源や技術といった側面から分析されています。ここがとても面白いです。
第二章は、著者が組織論に重きを置いていることもあり、日本特有の組織文化が生み出してしまった「失敗の本質」を鋭く指摘しています。詳しくは後述します。なお、もともと日米で開きのあった資源や技術力の差への言及がやや乏しいという意見もあるようですが、総花的にならずメッセージが分かりやすく示されているので、その点は問題ないと私は思っています。
そして第三章では、そうした失敗の本質から、日本は具体的にどうすれはよかったのか、著者の視点でまとめられています。
作戦計画に対する綿密な意思疎通の欠如
第二次世界大戦において、日本はあらゆる戦いで作戦計画がアメリカよりも杜撰でした。
まず、沖縄戦では、大本営(中央の司令部)と現場では、作戦計画に食い違いが生じていました。大本営は航空経路を優先して水際での短期決戦を志向しており、一方で現場は地上優先で持久戦を計画していたのです。これにより、アメリカ軍が沖縄に乗り込んできたあとに大本営と現場で混乱してしまい、日本は多くの被害を出してしまいました。
また、ガダルカナルにおいても、陸軍と海軍で作戦計画がすり合っておらず、陸軍が中国・インド洋方面に拠点を構えることを考えていた一方で、海軍はアメリカ艦隊主力をソロモン海域で迎え撃つことを考えていたため、陸海で連携した対応ができませんでした。
ミッドウェーでも、司令部の山本五十六と部下の南雲で作戦目的の意思疎通ができておらず、山本がアメリカ空母を誘い出す計画であった一方、南雲はミッドウェー島の攻略に力を注いでしまい、アメリカ機動部隊の出現に臨機応変に対応できませんでした。
大本営と現場、陸軍と海軍、上長と部下といった全ての切り口で、作戦計画に対する綿密なすり合わせが行えていなかったということです。
そもそもなぜこうなってしまったのかについては、次の項目「組織内の融和」が影響していたのでした。
戦略的合理性よりも、組織内の融和と調和を優先した判断
日本軍とは、戦略的合理性よりも、組織内の融和と調和を重視する組織でした。
その最たる例は、インパール作戦の司令官であった牟田口とその上官である河辺のやり取りに表れています。牟田口には、支那事変のキッカケを作ったという自責の念があり、このインパール作戦を成功させなければ国家に申し訳が立たないという個人的心情を持っていました。
そして彼は、周囲が反対するのを押し切り、失敗が濃厚であったインパール作戦の遂行を申し出ます。その上官であった河辺は「何とかして牟田口の意見を通してやりたい」という発言のとおり、戦略的合理性よりも個人的な部下の思いを汲む対応をしました。これが、最悪の撤退となったインパール作戦に繋がったのです。
ノモンハン事件でも同様です。当時、ノモンハンの現地にいた血気盛んな関東軍は、精神論を展開し、ロシアをだいぶ甘く見た作戦を計画しました。大本営では、この作戦に慎重論があったにも関わらず、最終的には現地にいる関東軍に気を使い、最終的な判断を関東軍に任せるといった対応が行われたのです。
このように日本軍は、戦略的合理性よりも組織内の融和を重んじることで、相手の心情をおもねった結論がまず最初になされ、あとはそれに辻褄を合わせるといった対応が一種の癖のように行われていました。
一方、米軍は「どんな計画にも理論がなければならない。理論と思想に基づかないプランや作戦は(中略)具体的な効果を与えることはできない」といった具合に、戦略的合理性に基づき判断を行っていたのです。
課題発見力よりも、与えられた課題の解き方を重視した教育
当時の日本軍における教育について、海軍では理数系で理解力、記憶力、行動力のある者がエリートとされ、陸軍では文科系で記憶力、データ処理力、文書作成能力のある者がエリートとされていました。
こうした教育は、オリジナリティは奨励せず、暗記と記憶力が強調されたものでした。
つまり、与えられた課題を最も有効に遂行しうる方法をいかにして既存の手段群から選択するかという点では良いものの、戦争のように不確実性の高い状況で課題自体を定義し直したり、新たな選択肢を見つけたりといったことには不得手だったのです。
たとえば、ノモンハンでは、ソ連軍の近代的な兵器や兵術を経験してもそこから学んでおらず、ガダルカナルでも強靭な精神で命令以上の戦果を挙げていた第一線の部隊からのフィードバックを大本営はほとんど拒否して臨機応変な対応ができていませんでした。
ミッドウェーでは、近代的な情報戦を疎かにして、暗号が読み取られてしまうなど、新しい局面への臨機応変な対応やリスク検知の力がアメリカ軍に劣っていたのでした。
日本人として学ぶべきは合理性である
このように、作戦計画の意思疎通の欠如、合理性よりも組織融和を優先、問題発見力よりも既存の手段での解き方を重視といった点は、日本軍に留まらず、日本全体の国民性といっても過言ではないでしょう。
この本は1984年に書かれているのですが、この頃の日本は戦後の急激な復興を遂げて、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。
上記のような日本人の特性が、良い意味で発揮されたのではと言及しつつも、不確実性の高まる今後の社会でも順調に行けるかは分からないとしています。
最後の文末は「日本的企業組織も、新たな環境変化に対応するために、自己革新能力を創造できるかが問われているのである」という言葉で締め括られています。
さて現状はどうでしょう。その後のバブル崩壊と失われた30年により、文末の警告の通り、日本はみるみるとダメになってきています。
私たちは、日本人として今こそ自分たちの戦略的合理性や課題発見力の弱さを理解し、そこを強化するための対策が必要なのだと思います。
第二次世界大戦の敗因は、もちろん組織文化だけでなく資源や技術力の差も大きかったと思いますし、何よりももともと勝ち目がなかったのですから、こちらの記事に書いた孫氏の兵法を真に理解していれば、開戦に踏み切る必要はなかったでしょう。
ただ、孫氏の兵法もつまるところ合理性を説いた書です。日本人には、こうした能力を一人でも多く身につけるため、教育や文化の進化が必要だとつとに思っています。
戦争の話かぁ~
なんだか暗くて嫌なんだよな~