ホームレスや寺修行を経験した友人が持ってるマイルール

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一般的なレールからの脱線

雲のように自由に生きるジュウザのような友人がいる。彼は定職にはもちろん付いておらず、気ままな旅を続けている。まるで現代のフウテンの寅さんだ。彼は旅先で仕事をもらいながら日銭を稼ぎ、好きなギターを携えて街から街へ渡っていく。

彼に人生の夢は何かと聞いたことがある。そしたら「夢なんか持つから人は辛くなるんだよ。目の前にあるギターを弾いて、誰かに聴いてもらえるなら、俺はそれでいいのサ」と気障なことを言うのだった。そう言い放つの潔さはなかなかの男前で、「寅さんじゃなかったな、お前はスナフキンだよ」と心の中で思い直すのである。

彼が面白いのは、夢を持たないものの、生きるためのルールがハッキリしていることだ。彼はもともと世間一般的には良い大学を卒業している。しかし、就職活動が全く思い通りにいかず、公務員を目指したりと右往左往しながら、最後は成り行きでアパレル会社に勤めることになった。しかし、ファッションセンスが全くなかった彼は、仕事にも興味が持てず、結局のところ数か月で辞めてしまった。そこから彼の人生は一般的なレールから大きく脱線していく。

それ以来、彼は奇抜な行動を繰り返した。ある日、別の友人が駅前を歩いていたところ、ホームレスの人たちが住んでいる一角に、段ボールの中でくつろぐ彼を見つけた。最初は別人かと思ったが、見間違いではないことを確認し、声をかけた。すると彼は「興味本位でホームレス生活を経験してるんだ」とあっけらかんと答えた。また、それから数か月後に彼は寺に住み込みで修行を始めた。悟りを開こうと思ったらしい。しかし、焼肉が食べたいという理由で二週間で逃げ出した。

彼は、寺から逃げ出しても、なぜか修行だけは続けた。彼が続けた修行は座禅である。何も考えずにただ坐るという内容が、彼にとってものすごくしっくりきたのである。それ以来、彼は日課として瞑想を続けている。現在は気ままな旅を続けている彼だが、毎日人通りのある街角で瞑想をしているそうだ。瞑想をするときは、お気に入りの座布団を敷いて、そこにあぐらをかいて坐るらしい。ギターをもったスナフキンが街角で瞑想をしていたらと思うと怖い。

「やりたいことをやる」という生き方

彼は旅を続ける中で、自分と向き合い続けた。むしろ、それしかやることがなかった。自分が何をしたいのかをじっくり考えた。そして、二年ほどで生きる意味に気づいた。それは「やりたいことをやる」という単純なものだった。将来何になりたいとか、何かを達成したいといった計画的なものではない。「今、何をやりたいのか」ということが焦点となっている。いま寝たいなら寝る、いま歌いたいなら歌う、ということらしい。

彼は、街中でギターを弾いていて、人から曲をリクエストされるときもあるそうだ。しかし、彼は歌いたくない曲は歌わない。自分がかっこいいと思っている曲以外は歌わないそうだ。日銭を稼ぐために仕事をしているが、やりたくないと思ったら、すぐに辞めてしまう。そんな感じで生きているようだ。

「やりたいことをやる」というのは単純なようだが、これをそのまま実行するのは難しい。ふつうの人なら、生きていれば他人から要求や期待を受ける。そして、それに応えていかないといけない。ふつうの人は、居心地のよい場所を作り、そこに留まるために一生懸命になる。恋人、家族、仕事など、自分の居場所ができたら、それを手放さないために我慢をする。そうこうしているうちに、人はやりたいことができなくなる。やりたいことさえ分からなくなる。

彼は「やりたいことをやる」というマイルールを徹底している。そのストイックさはゴルゴ13のようだ。プー太郎という自己管理ができていない人生のようで、実は自己管理の鬼のような人なのかもしれない。

人生はとても短い。時間もお金も感情にも限りがある。人からの要求や期待に応えることに一生懸命な私は、彼の覚悟は眩しく見えた。そんな彼に夕食をおごると、彼は「出世払いでお願いします」と言った。一生かけても出世することがなさそうな彼のことを少し憎たらしく思った。