【書評】世界的名著:自助論【強い意志と努力と良い人格で人生をきり開く!】天は自ら助くる者を助く

「天は自ら助くる者を助く」という有名な言葉で始まる本書。

1859年発行のサミュエル・スマイルズ著の世界的ベストセラーです。

300人以上の欧米人の成功談を集めたもので、明治時代に日本でも『西国立志編』として刊行されて当時大ヒットしました。

この本は、わたしが世界で一番好きな本であり、何か迷ったときに読み返す本であり、思考の根っこを作ってくれた本です。

自助論って、名前からして堅苦しい感じなんだけど大丈夫?

この本は、竹内均さんという東大名誉教授の方が翻訳してくれた本で、現代の若い人でもとても読みやすくなっていますので、その心配はいりませんよ!

自助論では、良い人生を歩むためには、強い意志と不断の努力、そして良い人格が必要だということを数多の偉人のエピソードから丁寧に教えてくれます。

よくもまあここまでエピソードを集めたものだと感心してしまいます。内容としては、イギリスで100年以上前の偉人たちのエピソードが中心なので、現代の日本人だと知らない偉人も中には出てきますが、それでも十分楽しめます。

それでは中身に行きましょう!

とにかく努力をすべし。真の人間として生きたいならまずは努力せよ

この本において一貫して大切だと主張しているものを一言で挙げるとすれば、それは「努力」に他なりません。

「天は自ら助くる者を助く」というのは、自分で自分を助ける者、つまりは自分の努力で自分の人生を切り開いていく者には、神様も味方をしてくれるという意味です。

誰もが世界を変えたいと考えるのに、誰一人自分自身を変えようとしていないというのは、よく聞くかと思います。この本の主張は、まずは自分自身を変えて努力をしていけば、世界を良くしていくことができるというものです。

スマイルズの以下の言葉に、それが凝縮していると思います。

人間の成長はひとえに、困難と闘おうとする意志の力、すなわち努力いかんにかかっている。一見不可能と思えることの多くが、努力によって可能となるのを見るにつけ、われわれは大きな驚きを禁じ得ない。

この本にはたくさんのエピソードがありますが、その中でもイギリスの奴隷解放に尽力したファウエル・バクストンの言葉を紹介します。

長生きをするにつれ、ますます確信をもっていえることがある。強者と弱者の違い、偉人と取るに足らない人間との違いは、その人間が旺盛な活力と不屈の決意を持っているかどうかにかかっている。ひとたび目標が定まったら、あとは勝利か死かのいずれかしかない・・・そう断じ切る決意が大切なのだ。旺盛な活力と不屈の決意さえあれば、この世に不可能なことは一つもない。逆に、それを備えていなければ、どんなに才能や境遇やチャンスに恵まれていようと、二本足で歩く動物の域を出ず、真の人間にはなれないだろう。

強い意志と努力が必要だったとしても、最初からそれを身につけている人はいません。

この本に登場する偉人たちも、最初はふつうの子供であったり、むしろ出来が悪い方の子供だった人も多くいます。

たとえば、ニュートンは、学生時代の成績はビリから二番目だったところ、人にバカにされたことで一念発起して猛勉強を重ねて、世紀の発見に至りました。ナポレオンや、イギリスの英雄ウェリントンも、少年時代は愚鈍だったといわれており、学校では全く目立たない存在でしたが、長い間の努力によって偉業を達成しています。

このようなエピソードを知ると、今からでも間に合うとやる気が奮い立つというものです。

なぜ努力をしたいと思わない人がいるのか。それは、努力で得られる自由とは孤独なるものであるから

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しかし、強い意志をもって努力したほうがよいといわれても、それができないのも人間なのかなと思います。

なぜ、努力をしないのかといえば、必要に迫られない限り、現状維持であればよく、向上心をもった努力をすることは面倒くさいと考えているからでしょう。

努力で得られるものは、お金だけではなく、知識や人格や尊敬といったものや自由があります。知識や人格や尊敬には興味なくとも、本来自由は皆が等しく望むものではないでしょうか。

しかし、その自由さえこれ以上欲しいと思わない人がいます。この本に載っているエピソードではありませんが、エーリッヒ・フロムの以下の言葉がそれを示しています。

自由とは孤独である。自由を享受するには、選択への責任と孤独を要する。

エーリッヒ・フロムは、自由を求めることは孤独になることであり、人はその孤独に耐えきれず自由から逃走し、隷属と依存の道を歩むといいました。何者かに服従し、いわれた通りに生きることで、自らの自由を放棄する代わりに、責任と孤独から逃れようとするということです。

これは人の本質を付いています。孤独への恐怖による「自由からの逃走」が、自助の精神を奪い、強い意志と努力ができない人間にさせているのではとわたしは考えます。

自助という言葉を聞くと、何か突き放された気分になる人さえいます。しかし、そういった消極的な考え方では、立派な人格や習慣や名誉を得るといったことはかなわず、スマイルズのいう「真の人間」にはなれないのです。

もちろん、この本の主張は、万人に受けるものではないでしょう。しかし、明治時代の日本人にはとても共感された本であることは事実です。

現代の日本人にはどうでしょうか。孤独が怖く誰かにすがりたい、別に今の生活で十分だから努力なんて面倒なことはしたくない、自分さえよければいい。明治時代よりも飽食な暮らしに浸って、そういった声が聞こえてきそうな気がしてなりません。

継続的な努力には時間が大切であり、時間をかければとんでもないレベルにまで向上することができる

オックスフォード大学の時計には、以下の文字が刻まれています。

時間とは消滅するものなり。かくしてその罪はわれらにあり。

人は、万人に等しく与えられた時間に対して、そのありがたさをどこまで理解できているでしょうか。スマイルズはいいます。

金を使い果たすまで、そのありがたさに気づかない者は多い。時間についてはなおさらだ。怠惰な生活に身を委ねておきながら、人生が残り少なくなってようやく「時間をもっと賢く使うべきだった」などと悟る人間のなんと多いことか。だが、その時はすでに無精で怠惰な生活習慣は変えようもなく、自分ではめた足かせをはずすことさえ不可能になっている。

時間についての重要性は、骨の髄まで思い知っている人と、単に観念的知識としてしか知らない人では雲泥の差が開きます。実際に、時間を有効に使って努力を重ねてきた人は、とんでもないレベルにまで自らを向上させることができます。

古の彫刻家ミケランジェロは、人に依頼されて作った彫刻の値段が高いといわれたとき「あなたはお忘れになっているのですよ。胸像を10日で作り上げられるようになるまでに、私が30年間修業を積んできたということを」と返したそうです。

ビュフォンの針で有名な植物学者であるビュフォンは、以下の言葉を残しています。

天才とは、一つの問題に深く傾注した結果生まれるものだ。

イギリスの有名な画家レーノルズも以下の言葉を残しています。

諸君が天性の才能に恵まれているなら、勤勉がそれをさらに高めるだろう。もし恵まれていないとしても、勤勉がそれに取って代わるだろう。

人格こそが最も大きな財産

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人は誰でも、すぐれた人格を得ることを人生最大の目的とすべきである。

スマイルズは、努力の結果得られる人格は自分のとても大切な財産になるといいます。

政治家ジョン・ラッセルは、このようなことをいっています。

我が国では、頭の良い人に助言を求めることはあっても、結局は人格者の指導に従うのが当然の道とされている。

人格者というのは、他人から自分がどう見えるかというモノサシで考えていません。自分の行いが自分にとって誇れるものであるかをモノサシとしています。

自尊心に厚く、心の中の鏡に自分が正しく映るように望んでいるのです。嘘、欺瞞、詐欺、見栄といったものから距離を取り、自分の人格を正しく保とうと努力します。

こうした人格によって、余人に代えがたい人間になることができます。

ナポレオン戦争でのイギリスの英雄ウェリントンは、歴戦の将軍でありながら、品行方正で部下からも慕われ、敵地でもおごり高ぶらず、略奪をする部下がいれば徹底的に罰していました。一方、軍に必要な資材の調達において商人から借金をしており、踏み倒すこともできたであろうに、彼等から厳しく取り立てられているチャーミングな一面がありました。

人々は、そんな彼を以下のように評価していました。

十年の軍歴を持つ老兵、鋼鉄の男、常勝の将軍が、大軍を率いて敵地に陣を構えながら、なおかつ債権者たちの前で縮こまっている。古今の征服者や侵略者の中で、このような不安に心を悩ませた者は皆無に等しいだろう。戦いの歴史を紐解いてみても、彼ほど崇高で純粋な心の持ち主はいないだろう。

人格を磨いていくためには、若い頃に人格の重要性に気づくことが大切です。

忍耐と努力こそがすぐれた人格形成にいちばん大切な要素であることは間違いありませんが、こうした要素は最初から恵まれている子供よりも、貧乏などを経験した恵まれていない子供のほうがかえってこの美徳を否が応でも身につけていきやすいです。

そのため、恵まれた家庭環境にある子供には、人格や努力の大切さをしっかり教育したようがよいでしょう。

なお、スマイルズは、高潔な人格を一辺倒で重要視したりはしていません。聖者のような生き方をしろといっているのではなく、現実的な側面にも重きをおいています。たとえば、お金の重要性も説いています。

物質的安定や社会繁栄の大部分が金で支えられている事実を見ると、金など取るに足りないものだとはいえないし、聖人ぶって金を軽蔑するのも正しくない。

すぐれた人格とそれをベースとした努力によって、正当な対価を得ることを是としています。

最後に、人格者とは、すぐれた雄弁家でも高邁な思想家でもなく、行動によって人を説き伏せられる人間だと思います。

自分よりも恵まれない境遇の人を助け、失敗や過ちに寛容であり、自らも努力を続ける人格者には、周囲に人が集まり、結果として、何にも代えがたい財産となって、その人の人生を有意義なものにするということです。