アイデアの出し方
創造するというのは、足し算の考え方と、引き算の考え方がある。無からいきなり生まれるということはあり得ない。通常、思いつくのは足し算の考え方である。何かと何かを結びつけることで新しいアイデアが生まれるということだ。どんな芸術家も発明家も、何にも影響されていないということはありえない。ピカソもベートーベンもアインシュタインもエジソンも他の人が既に作った何かに影響を受けて、それらを上手く組み合わせて新しいアイデアを創造しているのだ。
私たちの身近な例でいえば、漫画や音楽もそうだ。手塚治虫や鳥山明といった有名な漫画家が作ってきたフレームワークやデザインに影響されて、現代の漫画家はオリジナルな漫画を描いている。現代の漫画をよく見れば、そのストーリーやキャラクターデザインが手塚治虫や鳥山明といった有名な漫画家をお手本にしつつ、それらを組み合わせながら作られていることは明確である。音楽も同じで、ビートルズやグループサウンズの音楽に影響をされて、サザンやミスチルというバンドがあり、そこから影響を受けた若手アーティストが新しい曲を生んでいる。しかし、歌詞やメロディーや編曲を聞けば、それがビートルズやサザンに影響を受けたもので、様々なアーティストのアイデアを組み合わせて作られていることは明確である。新しいものが出てきたとしても、新しい組み合わせを発見したにすぎないのだ。
このように新しいアイデアというものは、何かに影響をされ、過去のアイデアを組み合わせて作られている。しかし、組み合わせるといっても、単純に何かと何かを組み合わせたから新しいアイデアが生まれるということではない。それぞれのアイデアを組み合わせるときに、余計な部分を削る必要があるのだ。ここが重要な点である。たとえば、Aというアイデアがあったとして、そこに一つ工夫を加えたいとする。そのときに何の工夫をすべきかは、無数に存在する他のアイデアから着想する必要がある。BとCというアイデアから着想を得て、Aというアイデアをベースに組み合わせようと思いつく。しかし、AとBとCには、お互いに相反する要素をもっていることはザラで、なかなかうまく組み合わせることができないはずだ。そこで削る作業が必要となり、うまく削れると新しいアイデアとして人から認められることになるわけだ。逆に、きちんと削ることができない場合は、単純な模倣として解釈されてしまうのだ。
削ることの難しさ
総花的という言葉がある。これは、全員に花を持たせるように、全方位に全力を尽くすというような意味である。しかし、もっぱらは否定的な意味で用いられる言葉で、要は、全員が満足できるような内容に一見して見えるが、個々に相反する内容となっていたり、メリハリがなくて何ら魅力がないものになることを指す。日本人は、和を以て貴しとなすが文化的に染み付いているため、このような総花的なアイデアになることがとても多い。単純にアイデアを組み合わせるという足し算の考え方だけでは、良いものはできないのである。そこで重要になるのが、引き算の考え方である。
引き算の考え方とは、アイデアを組み合わせた上で、うまく削ることである。どのようにやるかといえば、物事の本質的な目的やゴールをきっちり定めて、それ以外を削るということだ。しかし、物事の本質的な目的とゴールを決めるということは、単純な作業ではない。たとえば、NARUTOという漫画がある。ここは、ドラゴンボールから続くバトル漫画の流れではあるが、そこに忍者の要素を加えて、オリジナリティのある人気漫画となっている。新しい強敵が次から次へと出てくるわけではなく、死後の世界も描写されていないので、そういった要素は削られているのだが、手から元気玉のような技が出たり、絵のタッチはドラゴンボールなどの人気漫画から影響を受けている。これは、NARUTOが忍術をベースにしたバトルを行うものの、ドラゴンボールのようにどんどん新しい展開や強敵を登場させることで読者を楽しませるのではなく、キャラクターたちが持つ背景やストーリーに焦点を当てることを重視していることが伺える。
このようにアイデアとは、まずは足し算でアイデアを組み合わせながら、そのあとに引き算で必要な要素以外を削っていくことが必要となる。しかし、削る作業というのは、結局のところ何を一番重要視するのかを決めることであり、そこが一番難しいのである。初めから正解などは与えられはしない。試行錯誤しながら、何を目的やゴールにするのかを見定め続けなければならないということだろう。