【書評】翔ぶが如く(司馬遼太郎)【明治維新から考えるチェンジマネジメント。強烈な改革には抵抗が付き物。ガス抜きが重要】

今日は、明治維新からの西南戦争を踏まえて、改革においてチェンジマネジメントがいかに重要であるかについて語っていきたいと思います。

明治維新は漢のロマンだよね!

そうですね!最近、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を読んで、思うところがあり、このようなツイートをしました。

順を追って説明していきます!

「翔ぶが如く」とは

「翔ぶが如く」とは、西郷隆盛という明治維新の一番の功労者が、明治政府という太政官を設立後、征韓論で敗れて下野をし、西南戦争を起こすまでの一連の流れにおいて、当時の時代背景と周りの登場人物たちの葛藤を鮮やかに描ききった司馬遼太郎の大作です。

題名の「翔ぶが如く」とは、薩摩隼人の特徴として、強靭な精神を持って翔ぶような勢いで相手を撃破する姿を現したもので、主に西南戦争での薩摩士族たちの戦い方から取ったものです。

そして、明治維新の立役者である西郷隆盛が、自ら創ったといっても過言ではない明治政府をなぜ倒そうとしたのか、このあたりに、本日のテーマであるチェンジマネジメントの重要性が隠されています。

明治維新とは強烈な変革であった

明治維新とは、強烈な変革でした。

江戸幕府時代に200年続いた制度をわずか短期間で壊し、廃藩置県、地租改正、四民平等、徴兵制といった改革を実行して、日本を一気に近代化していったからです。

これらの改革は、ペリー来航に端を発した外国からの開国要請と、アジアで進んでいた植民地化に対する憤りと焦りから、なんとしても日本を守らなければならないといった志士たちの強い思いによって、ものすごいスピードで行われていきました。

廃藩置県や地租改正など、近代化を目的とした改革意識からみれば最大の事業でしたが、当時の人たちからすればあまりに早すぎた改革であったでしょう。明治政府側からすれば、外圧が強く改革が待ったなしであったため、緩やかな移行期間が持てなかったのです。

なぜ明治維新に対する強い抵抗が生じたか

そもそも、江戸幕府を倒すときの原動力は、薩長の士族そのものでした。それにもかかわらず、明治政府はその功績に報いるどころか、廃藩置県や四民平等を行うことによって武士階級を破壊し、彼らの特権を奪っていったため、士族から強い抵抗が生じたのです。

あの西郷隆盛が征韓論を唱えた理由は、大久保や木戸や岩倉が海外視察をする中で自分だけが日本に留まったため、外国の事情に暗かったこともあるでしょう。

しかし、それ以上に、西郷隆盛は明治維新に貢献した士族を裏切ることができなかったということです。特権を奪われてしまった士族の不満の矛先を必要としたからに他なりません。

そして、征韓論で敗れて下野した後、桐野らによって西南戦争の御大に担がれてしまったのも、感情量の多さゆえに、士族の気持ちに飲まれてしまったからでしょう。

抵抗勢力のガス抜きこそ変革者が最も注意すべきこと

強烈な変革を行ったときには、強烈な抵抗がセットで付いてくると認識したほうがよいです。

これこそが、チェンジマネジメントが重要である理由です。

チェンジマネジメントとは

チェンジマネジメントとは経営学用語の一つ。組織においての業務などといった様々な事柄を変革するということを推進、加速させ、経営を成功に導くというマネジメントの手法。組織が変革を行うということになったならば、その組織に長年慣れ親しんできた従来の方法に固執し、変革に対して反対をする構成員が多く存在する。そこでチェンジマネジメントでは、経営のトップ自らが変革が行われる組織の構成員に対して、変革が行われることの狙いや必要性を知れ渡らせ、構成員の意識を改革するために努められる。同時に構成員が変化が行われる組織の中でうまく適応できるようにも努められる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

言うは易く行うは難しの典型です。多くの組織というのは、このチェンジマネジメントで失敗することで勢いを無くしていきます。

「翔ぶが如く」を鑑みれば、明治政府は、明治維新という改革において最も割を食うことになった武士(士族)に対するチェンジマネジメントに少なくとも成功しなかったといえるでしょう。そのために、西南戦争が勃発してしまい、下手をしたら明治政府自体が倒れることにもなりかねない状況を招いたということです。

西郷隆盛は、明治政府にあって唯一、チェンジマネジメント、つまりは士族のためのガス抜きの重要性を見抜いており、彼からすればそれが征韓論だったのかもしれません。士族にたまった鬱憤を晴らすために、国内で出来なくなった戦争を海外で勃発させ、そこに鬱憤の矛先を向けたかったということです。

しかし、当時の世界情勢から見れば、大久保たちが言うように「征韓論をしてしまえば列強のエサになりかねない」というもの事実だったと思います。

西郷隆盛が海外視察にいっていれば、征韓論に行きつくことはなかったでしょう。感情量の多い西郷が全く別の方法で士族のガス抜きを導き出せたら、もっと違った結果になっていたかもしれません。

「翔ぶが如く」は、歴史書としても名著なのでおススメです。