本日ご紹介する本は、草薙龍瞬さんという僧侶の方が書いた「悩みの解決本」です。
この方は中学中退したあとに大検で東大法学部を卒業し、シンクタンクを経て、インドで出家され、現在は「現実の問題解決に役立つ合理的な方法」として仏教を紹介されているすごい経歴の方です。
この本で扱っているのはまさに「悩み」です。
悩みというのは、世の中のほどんど誰もが持っているものですよね。
どんなに成功している人でも、どんなに幸せそうな人でも、必ず本人しか分からない悩みを抱えています。
では、そうした悩みというのは、そもそも何なのでしょうか。
この本では、その答えをブッダの考え方から学びます。
ブッダとは、仏教の創始者という堅いイメージがありますが、それだけではなくて、人間誰しもが持っている悩みとは何なのか、どうすればそこから解放されるのかを究極に考え抜いた人です。
今日は、悩みの構造を理解して解き明かした偉人から「悩みの解決方法」を学んでいきましょう。
悩みとは、心のムダな反応である
さっそく一番重要な部分です。
ブッダは、悩みとは「心のムダな反応」が原因だと説きます。外の世界の人や物事に対して、良い、悪いといった判断を行い、ムダな反応をしていることが悩みの原因だといいます。
わたしたちは普段から、他人や物事に対して「学校や職場にいるあの人が嫌だ」とか「あの学校や会社の方針は間違っている」とか、なにげなく判断していると思います。
ブッダは、そうした良い、悪い、正しい、間違っているといったことを判断を行うこと、つまり反応することが「心のムダな反応」であり、そういうムダな反応をいちいちしてしまうことで、人は悩みを自ら生み出しているということに気づいたのでした。
ムダな反応をするのではなく、外の世界の人や物事をそのまま受け止めて、反応せずに「ああ、そうなのね」とただ理解すれば、悩みなど生まれないということを発見したのです。
なぜムダな反応をしてしまうのか
それではなぜ、人は、悩みを生み出してしまうムダな反応をしてしまうのでしょうか。
人には、生存欲、睡眠欲、食欲、性欲、怠惰欲、感楽欲、承認欲といったものがあります。
これらの七つの欲求は、人間が生来持っているものであり、これらが「満足できない心」を生み出し、ムダな反応をさせているのです。
誰しも「もっと良い学校や会社に入りたい」とか「もっと人から認められたい」とか「身近な人からもっと愛されたい」といった欲求をもっています。
そうした欲求が、外の世界の人や物事に対して、良い、悪い、正しい、間違っているといった反応を生み出しているのです。
もっと認められたいのに認めてくれない周りが悪いとか、こんなに想っているのに愛されないのは自分が悪いとか、そういう反応を生み出します。そして、欲求が満たされなかった過去や現在、不安に思える未来を自分で作りだしていきます。
さらに、こうした欲求に加えて、良い、悪い、正しい、間違っていると判断することは、それだけで分かった気になり、結論が出て安心できてしまうのです。こうしたまがい物の安心を得るために、反応してしまうのです。
反応から生まれる自己否定ループ
人は、三毒といわれる貪欲、怒り、妄想をもっています。先程の7つの欲求が悪い方向に進むと、この三毒につながっていきます。三毒のうち悩みに関係するのは主に妄想です。
過去のできごとをひきずり、あの時はこうするべきだったと妄想してみたり、あの人はわたしを嫌っているといった勝手な妄想をすることは、誰しも経験があるでしょう。
こうした妄想によって、本人自体は妄想していると気づかないまま、思い込みの蟻地獄にひきずられてしまいます。
過去を引きずること、つまり過去を理由にして今を否定することは、それ自体、反応であり、間違った判断をしています。
また、他人の気持ちを勝手に想像してしまうことは、何の根拠もない間違った判断に繋がります。
「お金持ちになりたいのに貧乏な自分は価値がない」とか「もっと頑張らなければならない」とか「愛されていない」といったような妄想は、外の世界をありのままに見たものではなく、自分が勝手に作り出しているものです。
そして、そうした妄想は、間違った理解であり、なかなか自分で訂正することができない上、自己否定のループに繋がっていきます。
わたしたちは、これらはすべて、妄想にすぎないとハッキリ自覚することが大切です。
ものごとをありのままに受け止めて理解する
それでは、こうした心のムダな反応は止められないのでしょうか。
ブッダは、反応を生み出している人の欲求というものは、そもそも生来持っているものだから仕方がないと考えます。人の心というのは、渇き続けるものだとまず理解することから始まります。
そして、自分を突き動かしている欲求について、「そうか、わたしには満たされていない承認欲があるのだ」といったように、言葉にして理解することが大切だといいます。
「わたしは、良い学校に入って認められたいのだ」
「わたしは、営業成績で一番になってみんなに認められたいのだ」
そういった自分の悩みを「言葉で確認する」のです。
その上で、外の世界をありのままに見て、ムダな反応をしないように努めます。良いとか悪いとか、正しいとか間違っていると少しでも考えてしまったときには、「あ、いまムダな反応をしてしまったな」と考えて、反応することをやめます。
悩みは、心のムダな反応から生まれます。外の人や物事をありのままを見て「ふーん、そうなんだ」で済ませば、そもそも悩みにはならないのです。
反応しない練習
ここで、反応しないといっても、なかなかできないので、ブッダのエピソードをみてみましょう。
ある日、悟りを開き、ブッダのもとで修業する弟子が増え、少しずつブッダが有名になった頃です。
とあるバラモンの人がブッダを妬み、弟子や訪問者が多数いる中、ブッダに罵声を浴びせたことがありました。
その時、ブッダは、相手の罵声をじっと最後まで聞き、静かに「あなたはそう考えるのですね。あなたの言葉は、そのままお持ち帰りください。」と言って、いなしたそうです。
ブッダは、ふつうの人なら腹を立てるようなことにも反応しません。
怒りをぶつけられるということは、他人の価値観をぶつけられていることになります。そのとき、否定や説教をするのではなく「あなたにとっては、それが正しいのですね」とそのまま流すことです。
また、現代はとても反応しやすい世の中になっています。その一つがスマホです。スマホというのは、テキトーな反応を作り出してしまい、反応する癖を強化してしまうツールなのです。
仏教では、こうした小さな反応を「漏れ」というそうです。大切なことに心を向けることができず、心の穴から漏れてしまうことです。スマホを握りしめている生活を少しずつ緩くしていく練習をしましょう。
「サラサラと流れる小川」のように
ブッダの考え方は、こうした反応を全て捨てて、外の世界を「サラサラと流れる小川」のようにありのままで見ます。そうすると悩みは自然と消えて、自由な心が手にできるのです。
周囲の価値観に縛られることもありません。周りの人はそうやって思い込んでいるが、自分はそういうことに反応しない、そして自分を正しいと決めつけることもない、周りの人も否定せずにそのまま受け入れるという精神です。まさに、素直になるのです。
慢心もしないし自己否定もしないで、素直になってしまえば、みんな幸せになれるのです。
ブッダの考え方は、現実を変えることではなく、現実と戦うことでもなく、反応せずにありのままを理解することです。そうすれば、「サラサラと流れる小川」のように、高いところから低いところに水が流れるごとく苦悩からも抜け出せるということです。
ストレス社会だからね、参考になるぜ