日本の労働生産性を高めるためには過剰品質と多すぎる管理層を何とかしないといけない

日本の労働生産性は先進国の中で最下位

日本の労働生産性が低いというのは、10年以上前からよく話題にあがる。働き方改革という号令のもとに長時間残業は減ったものの、OECD加盟国の調査結果を見ると、50年間ずっと20位前後となっており、2022年では38か国中の27位という結果になっている。これは、G7の中では最下位である。2022年におけるOECDでの日本の労働生産性のスコアは、アメリカの約6割、イギリスの約7割といったところである。イタリアの約8割しかないと言われたら、だいたいの日本人は驚くであろう。

この結果については、色々な方面で様々な考察が行われている。たとえば、日本の制度として整理解雇ができない仕組みになっているためだとか、生産性の高い業種であった製造業が海外に生産拠点を移してしまったからだとか、そういう類のものである。特に、整理解雇ができないことは要因としてかなり大きいのではないかと私も思う。

人員が不要になったらあっさり解雇できるアメリカとは違い、日本は労働基準法で労働者がしっかり守られており、会社の都合で解雇することはなかなかできない。そうすると、余剰人員を抱えることになるため、生産量が変わらなければ、労働生産性は下がってしまう。実際に日本の失業率は、OECDの中でも極めて低い。つまり、日本は労働生産性が低い代わりに、失業率は低いのであろう。

日本のおもてなしは過剰品質を生み出している

しかし、整理解雇ができないからといって労働生産性を高めなくていいということにはならない。そこで、私はもっと現場感覚に近い観点で考えていきたいと思う。まず、最も労働生産性を下げる要因として感じているのは、過剰品質である。過剰品質というのは、本来の価格以上に良い品質であるということだ。

日本で生活していると当たり前に感じる過剰品質について、あまりピンと来ない人も多いと思う。しかし、海外に一度でも行ったことがある人は、海外でのあらゆるサービスは日本の高品質なものとは程遠いことを経験しているはずだ。日本だとホテルやレストランやコンビニなど、どこに行っても従業員の対応はすこぶる良いが、それに比べて海外では、同じものを買っても従業員の対応は日本に比べて雑に感じることは多いだろう。日本では、コンビニでさえ、モノを訪ねればそこまで案内してくれるし、わざわざ買ったモノを袋に入れてくれるし、掃除も行き届いている。しかし、海外だとこのようなサービスは全くといっていいほどない(もししてくれたときには、チップをねだられる)。

日本のこうした素晴らしい従業員の対応は、おもてなしという日本の価値観である。しかし、これは労働時間を伴うものである一方、チップをもらえることもなく、対価には組み込まれていない。それがなぜなのか、客の立場になって考えてみよう。日本人は、おもてなしを受けることを暗黙的な前提条件と認識しているのではないだろうか。その証拠に、少しでも態度が良くない従業員がいれば、叱りつけようとする始末である。つまり、おもてなしは前提条件であり、それを対価として認めていないということになる。

日本では、全国津々浦々、おもてなしの心が行き渡っている。もちろんチップのようなルールもない。これは世界から見て異質だ。もし、世界レベルで労働者の流動性が極めて高い状況になった場合、こんなにおもてなしに労働力を使わないといけない一方、チップさえもらえない日本で誰が働きたいと思うのだろうか。

海外からは、オモテナシという表現で絶賛されているが、私たちはそれに喜んではいられないのだ。むしろ、そうしたサービスで労働時間を搾取されているのであり、マクロでみても労働生産性が下がってしまっているのである。

人数割合が増えているのに未だ中年層は管理作業に徹している

労働生産性が低いもう一つの理由は、管理職の人数が多すぎる点だと考える。バブル期までは、日本の労働人口はピラミッド型になっており、40代、50代の中年層が、20代、30代の若年層の作業を管理するという仕組みが成り立っていた。しかし、逆ピラミッドとなった現在の労働者人口構成では、中年層がそのスタイルをしていると、管理職の人数が必要以上に多くなり過ぎてしまうのである。会社の従業員数がずっと変わらなくても、中年層の人数が多くなってしまった日本の企業では、これまでどおりに中年層がマネジメントに徹してしまうと、現場で生産活動に従事する人数がどんどん減っていくことになってしまい、その分労働生産性が下がってしまうということだ。

これはつまり、中年層はマネジメントに徹していてはダメで、マネジメントと並行で現場で生産活動をすることが求められるのである。純粋なマネージャーではなく、プレイングマネージャーが必要とされているわけだ。しかし、多くの企業では、課長、部長になったことで現場から離れられると思い、社内管理に徹しようとする中年層が多い。

少しきつい言い方となるが、人というのは、自分の存在意義を示すために、わざわざ不要な仕事を生み出してしまう生き物だ。つまり、管理職になった中年層は、ただでさえ管理職の割合が多くなっているのに、プレイングマネージャーになりたくないので、虚構の管理作業を生み出すのである。

皆さんの会社にも、無駄な管理作業はけっこうあるのではないだろうか。「これは従業員のロイヤリティを高めるために必要な作業だ!」と大義名分を唱えている中年層はいないだろうか。そうした類の仕事は「(本質的には無駄な)管理作業」であることが往々にしてある。管理作業というのは、本質的には内向きな作業であり、ほとんどの場合、間接的にもほとんど付加価値を生み出さない。

もちろん、おもてなしには日本の素晴らしさがあると思うし、プレイングマネージャーのできない中年層も働けているという事実は失業率を抑えるという面から見れば良いことである。しかし、このまま労働生産性が低い状態のままだと、日本の企業はグローバルの中で生き残っていけるのだろうか。実際に、労働生産性の低い中小企業はグローバルレベルでの競争において淘汰されていっている。

今後、日本の産業を守るためには、日本は思い切ってこうした過剰品質をやめるか売価に転化するとともに、中年層をプレイングマネージャーができる者とそうでないもので、ふるいにかける必要がある。そのためには、諸外国並みに整理解雇を含めた労働基準法の見直しが必要になる。単に賃上げを企業に求めていくだけではなく、国際的な常識からみて、将来的に厳しくなるところは、痛みを伴いながら改善していく必要があるのではないか。